こんにちは。みたか・すりーばーど(@zombie_cat_cut>) です。
実は私、恥ずかしながら、こちらの動画をようやく拝見いたしまして。
有名なので、ご存じの方も多いのでは!
【とあるシリーズ考察】とある世界の考察 前編『上条当麻=ハディート』説
今まで、見たら絶対に影響されると思い、見ていなかったんですが、ついにこちらの動画を拝見させて頂きました。
目から鱗が、ぽろぽろぽろぽろぽろぽろ。
もう正論すぎて、この動画が正解としか思えなくなっちゃいますね・・・。
こうなるのがわかっていたからこそ、動画を見るのを控えていたわけですが。
というわけで、今回は自分の見解ももちろん書いてはいるんですが、この動画による影響を多分に受けています!
今回のテーマは、タイトル通り、”願いの力”です。
『とある』シリーズの原作、漫画、アニメ全てのネタバレが含まれますので、ご注意ください!
とある魔術の禁書目録 とは
鎌池和馬のデビュー作で、「科学サイド」と「魔術サイド」が混在・対立する世界観を描いた作品。2020年2月現在、電撃文庫(KADOKAWA)より、既刊49巻(本編48巻、短編集1巻)が刊行されています。
現在の最新刊はこちらの創約 とある魔術の禁書目録 (電撃文庫)です。
とあるシリーズ初見の人でも楽しめる内容になってますよ!
漫画版の最新刊とある魔術の禁書目録(23) (ガンガンコミックス)もあわせてどうぞ!
劇場版の映画のBDはこちらから。
漫画版はこちらからどうぞ!
願いの力
禁書世界には魔術と超能力が存在していますね。
- 魔術:生命力から『魔力』を精製し、魔術的な『記号』を示して「異世界の法則」を現世に持ってくることで発動
- 超能力:自分だけの現実と呼ばれる「認識のズレ」によって、ミクロな世界を歪めることで、マクロな世界に超自然現象を引き起こす。
しかし、魔術でも超能力でもないものの、因果律に干渉しうる”願いの力”というものも同時に存在しています。
劇場版アニメ『とある魔術の禁書目録エンデュミオンの奇蹟』でのアレイスターの言っていることをまとめるとこんな感じ!
- 能力者のものでなくとも、人の願いというものは主観を歪めてしまう
- 複数の願いが同一の指向を与えられれば、それは因果律に干渉しうる力になる
- オリオン号事件においては、呪術的な力を帯びた『歌』とオリオン号に施されたレディリーの術式の相乗効果で願いの指向が誘導され、その結果、願いの力は1人の少女の因果律を分断し、別れさせた歪みの力で多くの人の運命を変えた
- エンデュミオンの崩壊も、2人が1人に戻ろうとする際の歪曲により運命が変えられた
願いの力により生まれたもの
この願いの力によって生じたものは、鳴護アリサだけではありません。
そこで、『とある』シリーズにおける願いの力によって生じたとされるものをまとめていきたいと思います!
鳴護アリサ
- オリオン号事件において、シャットアウラ=セクウェンツィアの『大事な物を失ってもいいからみんなを助けて』という祈りが奇蹟という形で具現化し、彼女の『音楽の才能』を宿した少女の肉体を持ってこの世に現出した
- 人の願いが、呪術的な力を帯びた『歌』とレディリーの術式により指向が誘導され、1人の少女の因果律を分断し、別れさせた歪みの力で多くの人の運命を変えた
幻想殺し
- 「全ての魔術師たちの怯えと願いが集約したもの」
- 歪んだ世界をあるべき形に戻す力(=「元の世界」への足掛かりとなる不変的な基準点・リセット地点・バックアップのような力)があれば、と無意識下で願った魔術師達の夢・願い・怯えが凝縮した力が『幻想殺し』として顕れた
- 「神浄の討魔」という真名を持つ上条当麻本人の魂の輝きに惹かれて「あらゆる魔術師の夢」が集積した(僧正、ネフティス)
- 超能力ではないと断言される一方(風斬氷華)、魔術でもないと推測されている(インデックス)。
なお、動画では、願いの力によって生まれたのは5つと紹介されていますが、今回の記事では先代の幻想殺しと今代の幻想殺しは同じものとして扱うことにしました。
理想送り
- 自分達の『採点者』として見定めていた上条当麻が、魔神全体を救う道から外れて、オティヌス個人の『理解者』になってしまったのが原因で発生
- 「安心は得られない」と無意識下で思ってしまった魔神達が、幻想殺しに代わる力の出現を願った結果、理想送りが結晶化し、上里の右手に宿った
- ネフティス曰く、「あらゆる魔術師の夢」とされる幻想殺しへの思いがこうも簡単に右往左往してしまうのは、魔術業界の勢力は99.9%魔神が占めており、数だけなら少ないが、一人一人の力が桁違い過ぎて人間の魔術サイドが占める割合など髪の先にも満たないから
- 上里「幻想殺しは大したこと無かった。ただ、幻想殺しの奥にもう一つあったとはね」
聖なる右
作中から確定的に判断できるのは、この3つかなと思います。
しかし、動画ではフィアンマの『聖なる右』も、幻想殺しと似たような力と言われていることから、ローマ正教徒20億人もしくはすべての十字教徒の”願い”が集約したものと推測していますね。なるほどな~。
まとめ
まとめるとこんな感じ。
『神浄の討魔』も”願い”が集約したもの??
「俺は望まれてここにいる。だからこんな形になった。祈っただろ、上条当麻。取り留めがないと分かっていても、あの戦争のどこかで。もっとスマートに幻想殺しを扱えたら、なくした記憶のどこかにそんな操縦方法は埋もれていなかったか。お前がそんな未練を持たなければ!! 俺はなくした記憶を頼りに上条当麻と成り代わって、もっとスマートに振る舞おうだなんて馬鹿げた事を考える必要さえなかった!!!!!!」
「本質はただの能力、量子を歪めるモノだ。それ自体には何もない。『俺』なんていう主観自体も、どんな逆境も乗り越える人格も足りない部分を補う記憶も。そうであってほしいとすがらなけりゃ、こんなオプションはつかなかった」
引用:新約 とある魔術の禁書目録(22) リバース (電撃文庫)(下線は筆者による。)
この部分を読むに、『神浄の討魔』は単なる能力であり、その主観(性格など)は上条の祈り・未練によって生じた、ということでしょうか。
こちらの記事では『神浄の討魔』はAIM拡散力場の集合体なのでは?と考察しました。
つまり、AIM拡散力場の集合体に自我が宿ったのは、上条さんの祈りによるものだというように解釈できますね!
まとめ
まさか、映画の設定が原作でこんなにも重要だったとは・・・!
これは、以後どんなコンテンツでも気が抜けませんね。笑
今回はこんな感じで!
以上、みたか・すりーばーど(Twitter@zombie_cat_cut)でした。